< 学校沿革 >
1697(元禄10)年11月29日 上杉綱憲、元細工町(現中央)の儒医職矢尾板三印邸内の聖堂を改造して感麟殿と命名し、 傍らに講堂(学問所)を建て、この日孔子像の遷座式を行う。これが米沢藩学館の創め。綱憲没後、藩財政の逼迫と共に衰微。
1771(明和8)年5月2日 学館再興を宿志とする上杉治憲(鷹山)の求めに応じ、細井平洲(紀徳民)が米沢に来着。以後10ヶ月、宿舎等において藩士らに講義
1776(安永5)年4月19日 学館落成し、平洲が「興譲館」と命名(提学:片山一積・神保綱忠、定詰勤学生20名)。 興譲館の語源は、「大学」の「一家仁一国興仁、一家譲一国興譲」より出ている。
9月19日 新築の興譲館講堂において平洲が初めて書経を講じる(聴講者400名余)。この月、学則を揮毫。
1793(寛政5)年11月14日 屋代町(現丸の内)御国産所内に好生堂(医学校)を建設。薬草園の造成と共に医学書やオランダ製の外科器械類を整備。
1796(寛政8)年12月14日 学館を拡張して友于堂を設置し、通学生の教授場とする。
1807(文化4)年3月 好生堂を興譲館構内に移す(これより先、治憲は藩医を杉田玄白らの元に派遣して蘭学・医学を学ばせる)。
1864(元治元)年4月15日 西割出町(現金池)より出火し興譲館類焼。11月6日、門東町講武所内に再建興譲館落成。 聖堂・学館・好生堂の規格等旧制に同じ。
1867(慶応3)年12月29日 上杉斉憲、徳川慶喜からの大坂(阪)出陣要請を受け、各頭・諸役員・興譲館諸生から意見を聴取。
1869(明治2)年1月 兵士の屯所や仮病院に充てられていた学館の修復が完了し、興譲館の授業を再開。
1871(明治4)年1月24日 興譲館好生堂内に洋学舎を創設し、慶応義塾出身の木村道之助ら3名を招いて英語を教授。
9月  米沢県、学校革新大旨を布達。興譲館は「四民一途人材教育の制度」を立て、皇学・洋学・医学・筆学・数学の5科を置く。
1872(明治5)年10月17日 文部省布達(「従前の諸学校の儀一旦悉く可相廃止候」)により、置賜県の県学としての興譲館は廃止(学館は縮小して継続)。
1874(明治7)年 この年、興譲館は旧米沢藩士協立の「私立米沢中学校」と改称、上杉家寄贈資金の利子と授業料で経営。洋学科を外国語学校と改称。
1881(明治14)年12月 私立米沢中学校が屋代町上ノ丁(現門東町)元置賜県庁舎に移転。同時に外国語学校も屋代町に移り間もなく合併 (修業年限4年。以後、徴兵猶予の恩典、上級学校進学の資格が得られない状況が1893年まで続く)。
1886(明治19)年9月19日 北堀端片町(現丸の内)に新校舎落成・移転し、1776年興譲館開講の日を卜して開校式を挙行。この日が本校の創立記念日となる。 新たに公布された中学校令に基づく修業年限5年の正則中学校。学校管理者(初代校長)に士族会会長の池田成章。
1893(明治26)年5月25日 県費補助を受けるため私立米沢中学校を山形県知事の管理に移し、校名を「米沢尋常中学校」と改め県立同等の資格に認定される。
1895(明治28)年5月2日 藩学の系統を明らかにするため「米沢尋常中学校興譲館」と改称。
1900(明治33)年4月1日 米沢尋常中学校興譲館が県立に移管され、「山形県米沢中学校」となる。
1901(明治34)年4月 「山形県立米沢中学校」と改称。校舎を関東町(現西大通)に新築移転し、9月19日に移転開校式を挙行。
1904(明治37)年9月 戦時(日露戦争)記念林創設。舘山に植林事業を始める。
1909(明治42)年6月13日 5年生43名が仙台方面修学旅行の帰途赤岩駅付近で列車転覆事故に遭遇、7名負傷。 この時、本校生徒が負傷者救護に活躍。後日、逓信大臣が来校して謝意を表す。
1925(大正14)年4月24日 軍事教練のため本校に軍事教官が配属される。
1926(大正15)年5月1日 「私立米沢中学校夜学校」の開校式挙行(県立米沢中学校に付設)。
1927(昭和2)年6月14日 山形県立米沢中学校校歌を制定(作詞五十嵐力、作曲弘田龍太郎)。
1929(昭和4)年1月29日 「山形県立米沢興譲館中学校」と改称。
1933(昭和8)年1月 スキー部が山形県地方予選大会に優勝。以後、8年連続県制覇。
1936(昭和11)年1月18日 午後0時50分、積雪(260㎝)のため講堂倒壊。全日本スキー大会米沢開催のため生徒たちは市街地の雪踏み作業に出動中で負傷者なし。 9月18日、新講堂の竣工式を挙行。
1938(昭和13)年6月9日 文部省通知により勤労奉仕活動始まる。1939年度以降全校生徒が近郊農村や報国農場(鬼面川河畔)への勤労奉仕に出動。
1940(昭和15)年4月1日 私立米沢中学校夜学校が県立に移管され、「山形県立米沢夜間中学校」となる。
5月  4年生、関西方面へ修学旅行(本校最後の修学旅行)。
1941(昭和16)年9月 剣道部が関東・東北・北海道大会で優勝。以後、県大会3連覇。
1941(昭和16)年12月10日 8日の宣戦布告を受け、全校で上杉神社に先勝祈願
1943(昭和18)年4月1日 改正中等学校令により、中学校は修業年限が1年短縮されて4年制となる。山形県立米沢夜間中学校が本校夜間課程となる。
1944(昭和19)年9月 学徒動員で4・5年生が群馬県太田町中島飛行機製作所へ出動。
1945(昭和20)年3月 5年生(昭和15年入学)と4年生(16年入学)が同時卒業式。
8月15日 教務日誌に「授業四時間、正午大東亜戦争終結ニ関スル重大放送拝聴」とあり。8月25日より学年輪番で五色開墾、学校作業、自宅作業。
1947(昭和22)年3月31日 教育基本法、学校教育法が公布され、6・3・3・4制、男女共学、小・中学校は義務教育となる。4月1日施行。
1948(昭和23)年4月1日 「山形県立米沢第一高等学校」となる。夜間課程は定時制課程となる。米沢中学校後援会(1928年設立) を改組して教育振興会を設立(会長高橋与市)。5月、興譲会(1900年設立)を改め自治会と称する。
1949(昭和24)年2月 自治会歌制定(作詞星篤志、作曲滝沢美恵子)。
1949(昭和24)年 この年、米沢興譲館同窓会復活(会長高橋与市)。1966年9月19日に定時制同窓会を統合。
1950(昭和25)年4月1日 男女共学を進めるため、山形県立米沢第四高等学校(旧米沢高等女学校)と統合して 「山形県立米沢高等学校」となる(旧一高を西校舎、旧四高を東校舎とする)。
5月25日 全校吾妻登山を実施(~26日)。以後、恒例となる。
9月19日 創立記念日を卜して高湯マラソン実施(本校-高橋間約16km、白布温泉1泊)。以後恒例となる。
10月1日 現用校章(帽章、襟章)を制定(昭和26年卒、小林治郎デザイン)。
1952(昭和27)年4月1日 東校舎に米沢東高等学校が分離設置され、本校は「山形県立米沢西高等学校」となる。
1953(昭和28)年8月 野球部が県大会で優勝、南奥羽大会に進出するも決勝で敗れる。
1954(昭和29)年9月19日 同窓会総会において、県当局への校名変更陳情を満場一致で決定。
1956(昭和31)年3月15日 雑誌『興譲』第1号発行。
4月1日 「山形県立米沢興譲館高等学校」と改称。
9月19日 本校創立70周年記念式典を挙行。新たに校旗と校歌(作詞浜田広介、作曲細谷一郎)を制定。
1957(昭和32)年9月19日 米沢興譲館高等学校体育後援会発足(会長木島正太郎)。1991年4月、体育文化後援会と改称(会長今井昭二)。
1958(昭和33)年11月3日 高橋里美(明治37年卒、哲学、東北大学学長)、文化功労者表彰。
1964(昭和39)年6月16日 新潟地震発生。米沢地方は震度4。学校日誌に「后、一時四分頃、強度の地震あり、列車不通となる。各地の被害甚大なる由。」とあり。
11月3日 我妻栄(大正3年卒、法学、東京大学名誉教授)、文化勲章受賞。
1966(昭和41)年8月 我妻栄寄付の奨学基金を基に財団法人自頼奨学財団を設立。1968年に他の奨学基金も自頼奨学財団に統合。
1967(昭和42)年8月29日 羽越水害。置賜地区の被害甚大(死者4名、罹災家屋約4,000戸、市道決壊23か所、橋梁流失17か所)。 10月、全校生徒が羽越水害の被災地小松地区の稲刈り勤労奉仕に出動。
1968(昭和43)年4月1日 全日制課程に理数科設置(定員45名)。
1976(昭和51)年9月19日 藩校興譲館創立200年、米沢興譲館高等学校創立90周年記念式典を挙行。 記念事業として『興譲館のあゆみ』『興譲館史話』『学校新聞「興譲」縮刷版』を刊行。
1981(昭和56)年3月 山形県立米沢興譲館高等学校定時制課程廃止。
1986(昭和61)年8月31日 新校地(米沢市大字笹野1,101)に体育館、柔剣道場竣工。
9月19日 米沢興譲館高等学校創立100周年、藩校興譲館創立210年記念式典を挙行。記念事業として『興譲館世紀』『興譲館今昔夜話』を刊行。
1987(昭和62)年7月31日 新校地に校舎全面竣工。10月20日、新校舎に移転。
1988(昭和63)年3月31日 新校地にセミナーハウス完成。
6月14日 新校舎竣工式典を挙行。9月6日、山下泰裕氏を迎え校舎竣工記念体育館?落としを開催。
 11月8日 弓道場、物置竣工。テニスコート完成。
1989(平成元)年6月30日 部室棟2棟完成。12月15日、自転車置き場2棟完成。
1991(平成3)年3月27日 図書室・図書学習室、大多目的教室、コンピュータ教室の冷房工事完了。
1996(平成8)年1月15日 本校北通り-新大橋線(学園ロード)開通。
1997(平成9)年9月10日 思索の森造成。
1998(平成10)年8月 老朽化した部室棟2棟を解体したあとに新部室棟1棟完成。2棟目は翌年8月に完成。
9月21日 藩学創設300年記念式典を挙行(記念講演は、宇宙航空研究開発機構教授・上杉家17代目当主上杉邦憲氏「21世紀の宇宙と地球」)。 3日間にわたり記念行事を行う。記念事業として『興譲館人國記』を刊行。
2000(平成12)年3月 東屋(あずまや)の建設と樹木45本の植栽(昭和12年卒、青木朗寄贈)により思索の森の整備完了。
7月   上杉鷹山公生誕250年を契機に生徒5名・教員3名が宮崎県立高鍋高等学校を親善訪問。以後、隔年で相互訪問交流。
9月   藩学創設300年記念講堂竣工。
2002(平成14)年5月23日 文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業研究開発指定校となる(~2004)。 研究開発課題は「生涯にわたって科学的に思考し、創意工夫する力を育むための教育課程及び教育方法の研究開発」。
2007 (平成19) 年3 月13日 国立大学法人山形大学工学部との高大融合に関する協定を締結。大学との教育交流を開始する。
2008(平成20)年4月1日 各学年5学級・定員200名となる。
2011(平成23)年1月14日 故皆川睦雄(昭和29年卒、221勝投手)、野球殿堂入り。
3月11日 東日本大震災発生(三陸沖、M9.0、最大震度栗原市7)。米沢市は震度5強で校舎に軽微な被害。 生徒・教職員は全員無事。余震の頻発、東京電力福島第一原発放射能飛散、列車不通、ガソリン不足等により3月28日まで生徒登校停止。
9月1日 財団法人自頼奨学財団を公益財団法人自頼奨学財団として登記。
2012(平成24)年3月16日 生徒昇降口、職員玄関、体育館玄関に防犯カメラ設置。
 4月1日 文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業研究開発指定校となる(~2016)。 研究開発課題は「科学好きの裾野を広げ、科学技術系人材を育て、わが国の将来を担うサイエンスイノベーターの育成を目指す教育プログラムの研究開発」。
2015(平成27) 年 3月5日 文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業研究開発指定校3年目。台湾の国立台湾師範大学附属高級中学と姉妹校締結をする。
2016(平成28)年9月19日 創立130周年記念式典挙行。記念事業として式典歌・シンボルマーク作成。『創立百三十周年記念誌』刊行。
2017(平成29)年4月1日 文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業研究開発指定校となる(~2021)。研究開発課題は「未来に果敢に挑戦できる科学技術系人材の育成~サイエンスイノベータ育成による教育を通した地方創生モデルの創出を目指して~」。
2018(平成30)年4月1日 全日制課程に普通科の他に探究科定員80名(理数探究科・国際探究科)設置。
2019(平成31)2月7日 国立大学法人山形大学との間に教育連携に関する協定書締結。
2020(令和2)4月1日 文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)科学技術人材育成重点校となる。
2022(令和4)4月1日 文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業研究開発指定校(第Ⅳ期)となる(〜2026)。研究開発課題は、「未来に果敢に挑戦できる科学技術系人材の育成〜米沢興譲館STEAM教育の実践・発展とその成果の普及〜」。
  < 歴代校長 >
校長名 在任期間
初代 池田 成章 明19.09~明21.12
2代 鈴木 千代吉 明22.02~明22.09
3代 古藤 伝之丞 明22.10~明26.05
4代 坂田 伝蔵 明26.06~明30.07
5代 安並 正也 明30.08~明33.04
6代 松山  亮 明33.04~大01.10
7代 下平 忠良 大01.10~大06.03
8代 石原 初太郎 大06.03~大08.03
9代 添野  信 大08.06~大11.05
10代 葛原 運次郎 大11.05~大14.07
11代 江口 親明 大14.04~昭05.07
12代 大野 芳磨 昭05.07~昭08.02
13代 戸田 貫一 昭08.02~昭11.05
14代 岡田 賢輝 昭11.05~昭12.03
15代 三浦 三義人 昭12.03~昭14.03
16代 岩淵 勝郎 昭14.03~昭16.05
17代 千喜良 英之助 昭16.05~昭21.03
18代 鈴木 吉郎 昭21.03~昭22.04
19代 千喜良 英之助 昭22.04~昭31.09
20代 佐藤 源治 昭31.12~昭39.03
21代 庄司 善助 昭39.04~昭42.03
22代 中山 二郎 昭42.04~昭45.03
23代 大井  魁 昭45.04~昭55.03
24代 山上 一郎 昭55.04~昭56.03
25代 石井 榮助 昭56.04~昭58.03
26代 山上 一郎 昭58.04~昭60.03
27代 渡辺 芳弘 昭60.04~昭63.03
28代 日野 顕正 昭63.04~平02.03
29代 曽根 伸良 平02.04~平04.03
30代 草壁 喜一郎 平04.04~平06.03
31代 大谷 昭男 平06.04~平08.03
32代 長谷部 国於 平08.04~平10.03
33代 巻   久 平10.04~平15.03
34代 五十嵐 京子 平15.04~平18.03
35代 蒲生 直樹 平18.04~平22.03
36代 佐藤 広明 平22.04~平25.03
37代 大貫 英一 平25.04~平27.03
38代 岸  順一 平27.04~平29.03
39代 横戸  隆 平29.04~平31.03
40代 柿﨑 悦子 平31.04~令和3.03
41代 曽根 伸之 令和3.04~